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  • 2018.05.08 Tuesday

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    選歌その23

    • 2014.10.23 Thursday
    • 22:29
    023:保(TrackBack数1〜88)

    ■撮り溜めた「平清盛」見始めて保元の乱あたりでご飯(天野うずめさん)

     画面の中の殺伐とした戦のシーンを、現実の中の主体はぬくぬくとご飯を食べながら見ている。その温度差に、何とも言えない哀愁のようなものを感じます。何でしょう。ひとが地位や権力をめぐって殺めあう興亡と、ひとが生きるための至極自然な欲の発露。真逆の性質である二つの事象が、一首の中に同居しているのだけれど、どちらも同じ“人間”としての本能なんですよね。その双方が頭の中でリンクしたとき「ああこれが人間なんだな」ってすとんと落ちた、といいますか。ダークヒーローのイメージの強い「平清盛」だからこそ、余計に比較として映えるのかしれません。

    ■保育園に園児が一人残りいて保母と見上げる夕焼け小焼け(西中眞二郎さん)


     叙景歌というのでしょうか。ひとがいて、風景があって。作中人物がどう思ったとか、作者はこう考えているとか、主観的な事柄を一切排除して、ただひとつの額縁におさまった「園児と保母と夕焼け小焼け」の絵を、言葉という媒体に変換する。そこに理屈などはなく、情景をありのまま描写することによって、言葉の裡からじんわりと滲み出るものの味わい深さがあります。ほのかに歌の余白を感じとれる読後感で、しばらくそれに浸っておりました。

    ■保健室誰が寝たかもわからないベッドの上で太宰読んだ日(秋霞さん)

     保健室のベッドは、病気や怪我など様々な事情を抱えながら寝た生徒らの、汗と涙と苦痛と(もしかすれば)怠慢など、長年の交々が染みついているものなのでしょう。そのベッドの上で、主体は太宰治の小説を読んだ。回想歌ですね。太宰と言えば、その作風はいわゆる「無頼派」と呼ばれ、第二次大戦後の既成文学に批判的姿勢を示すなどした作家として知られていると思います。名家に生まれながら幾人と愛人関係になったり何度も心中を図ったり、自らを落選させた芥川賞選考委員の川端康成へ憤怒と批判をこめた一文を寄せたり、彼の作風を形成した彼自身の人生には大いなる影があった。この歌における主体も、何か心に病むものがあって、太宰の作品を読んでいたのかしれません。思春期の只中にある中高生とは、得てしてそういう不安定な情緒のなか生きていて、ある程度の時を経て、あの頃はああだったなあと思い返すものです。一気に書き上げた熱の入った文章は少し寝かせて、冷静に客観的な目を取り戻してから推敲してゆくように、かつて保健室で太宰を読んだあの日を思い返している主体は、その経過時間の分だけ大人になったのでしょう。

    選歌その22

    • 2014.05.27 Tuesday
    • 14:56
    022:関東(TrackBack数1〜62)

    ■関東は雪が積もっているらしくきみのメールは脱字が多い(天野うずめさん)

     「風が吹けば桶屋が儲かる」のような構造の歌ですね。つまり、関東に雪が積もることときみのメールに脱字が多いことの、その間にワンクッション説明があって、それではじめて前後句の因果関係がスッと通るのが本来。それがこの歌は、間の部分を取っ払ってしまっており、やや因果のねじれが生じている。しかしそこに詩は生まれるもので、そのことをよくご存知な方の歌だと、一読思いました。特に、短詩型文学である短歌において、あまり説明的な歌は忌避される傾向にあると思うので、その余計な説明を省かれたのが効いています。一から十まで言う歌に対し、この歌の「きみ」の高揚(あるいは動揺)が、よほど手触りのある、実感として届きます。押しつけ感がないんですよね。

    ■列島はさながら龍のかたちして関東はそのお腹のあたり(五十嵐きよみさん)

     成程。昔から奇怪なかたちをしている自国だと思ってはおりましたが、たしかに列島は飛翔する龍のようであり、首都・東京の属する関東は、いわば日本の核の部分でもありますから、龍のお腹とは言いえて妙です(核なら「お腹」より「心のあたり」とした方が良いのではと思いましたが、そうはしないところがこの歌の味だと思います)。これが「東京」なら「心のあたり」なんでしょうが、それではあまりにイメージが付きすぎで安易です。心臓の次に大事な消化器官が詰まった「お腹」に喩えられたことが、首都・東京のあたりをマクロな視点で見た「関東」全域と、取り合わせとして何となく合っている気がします。

    ■春先に関東風のうどん食べこれから京都へ行くところです(希屋の浦さん)

     関東と関西のうどんは違うってよく言われますよね。とりわけ味やつゆの濃淡。この歌を読むに際して、主体が関東の人なのか関西の人なのか或いはそのどちらでもないのか理解を分けることで、歌の印象も変わってくると思います。関西の人ならば、京都へ行くのはさほど長旅でないので、ちょっとそこまで出掛けるとでもいうような「これから京都へ行くところ」の手軽さにそぐいます。一方で、たとえば関西圏外からの、新幹線に揺られる長旅であるならば、長閑な「春先」や雅な「京都」のイメージが保たれます。春先というと、草木が萌えはじめ、色彩が豊かになってくる時季。そんな折に食べる関東風のうどんは濃く、これから行く京都は極彩色のように美しい。ゆるやかながら、この歌には時間の移ろいが描かれており、美しいです。

    選歌その21

    • 2014.05.20 Tuesday
    • 16:58
    021:折(TrackBack数1〜64)

    ■プライドをへし折った奴に会いに行く 畜生この野郎ありがとう(西村湯呑さん)

     「へし折った」のが主体なのか「奴」なのかがはっきりしない構造の上句ですが、その部分の曖昧さは下句で払拭され、明快となりました。(俺の)プライドをものの見事にへし折ったりなんかしてくれちゃった奴に会いに行く、ということですね。下手をすればトラウマものか、そうでなくても一触即発の関係になっていておかしくないですが、主体は憎まれ口を叩きながらさり気なくその中に感謝の言葉を潜りこませます。なまじっかプライドが高かったのか、しかしその鼻を折ってくれたおかげで、却って等身大の「自分」の器を知ることが出来、ひとまわりもふたまわりも成長できたのでしょう。その背景が読みとれるから、心からの「ありがとう」がじんわり沁みてきます。下句は「ou」の脚韻でリズムを生んでいるわけですが、そのうち「畜生」「この野郎」は後ろの「ou」にアクセントがあり、最後の「ありがとう」は前にアクセントがあって、畳み掛ける韻の中にもやわらかい着地の歌となっています。

    ■折り鶴の千の心臓さぐり当て刺し殺す針はだれかの祈り(はぜ子さん)

     「折り鶴」「千」とくれば千羽鶴でしょう。長寿のシンボルである鶴を千羽折ることで、病気快癒や長寿が叶うという俗信があり、また被爆者の方が自身の延命を祈って折ったことから、平和のシンボルとも呼ばれています。重ねた鶴を糸で綴じてゆくのが、千羽鶴の作り方。解りきったことですが、見方を変えればそれは、鶴の「千の心臓」を探り当て針で刺し殺す行為なんですね。しかしきっとそれは本意ではない。御国のためなら本望という高節のもとに散っていった方々も、操作ひとつで何万何十万もの命を奪ってしまった方も、誰も望んでひとの命を奪おうとはしなかった、と、そう信じたい。そこに「だれかの祈り」があるように思えてならないのです。あるいは、日常を脅かされ命を脅かされた方々の祈りかしれないし、その両方かしれないけれど、とにかく一読して原爆忌を思いました。ので、これは真正面から向き合わないといけない歌だなと、浅学ながら姿勢を正して読ませていただきました。胸にグサリときた一首です。

    選歌その20

    • 2014.04.26 Saturday
    • 18:55
    020:央(TrackBack数1〜55)

    ■夜のあひを中央線のわたるとき落日はそのいろを増したり(紫苑さん)

     美しい写生歌です。「あひ」は「間」の意ですかね。「藍」とのダブルミーニングでもあるんでしょうか(厳密には「あひ」と「あゐ」で、発音がすこし違うのですが、綺麗な藍色の夜空をイメージせられます)。宵闇を縫うように中央線がわたってゆき、やがて落日はその色を増す。夜の底が深くなる。刹那に過ぎてゆく列車と、ゆるゆる落ちてゆく陽との対比、人工と自然との対比によって、悠久の中のほんのひと時を生きるわれわれ人間の切実さが浮かびあがります。「おつかれさまです」と言いたい一首。

    ■勺″─└|・/ー⊂ 日央画見ゑωナニ″ 久、ζ、″丶)ね 朮ラ─ナニ″っナニら 才包、キ⊃レヽちゃぅゎ(エクセレント安田さん)

     「ダーリンと映画見るんだ久ぶりねホラーだったら抱きついちゃうわ」。すみません、絵文字顔文字は省略させていただきました。まず、お題の使い方が柔軟でうまい。文字を分解・変形させて文字を表現する、いわゆる「ギャル文字」と呼ばれるもので歌全体を構成され、お題の「央」も「日」と組み合わせて「映」として使用されています。いや、意表を突かれました。このようなお題の使い方もあるのかと。歌の内容もこの表記とそぐうもので、今どきの若い女性像をリアルに等身大に構築されています。抱きつく=イチャイチャする良い口実に、映画とりわけホラー映画を「ダーリン」と鑑賞することを期待している、他愛ないつぶやき。それをギャル文字でコーティングすることで、うきうきした気持がより表現されたと思います。視覚で魅せる歌ですね。

    選歌その19

    • 2014.04.25 Friday
    • 20:15
    019:妹(TrackBack数1〜56)

    ■マガジンを3秒以内で買いに行く 小野妹子が隋行く気分(天野うずめさん)

     「マガジン買ってこい」などとパシリに遣われたんでしょう。逆らえず従順に買いにゆく主体の背中へ、追い討ちをかけるように「3秒以内な」と圧のある冗談を投げかける野郎共が浮かびます。上句の無茶ぶり具合が、隋へ遣いに送られた小野妹子の理不尽さ(実際どうだか解りませんが)と結びつく、その発想が面白いです。古代と現代とのまさかの融合が味のある一首。哀愁ただようのにどこかファニーな読みあがりが魅力です。 

    ■春愁に宿題のような恋文の推敲重ね妹でありたし(秋霞さん)

     淡い一首です。なんとなくわびしく気持がふさぐ春頃に、宿題のような恋文の推敲を重ねる主体。「宿題のような」とは何でしょうか。仕上げてこなければならないもの。終わらせなければならないもの。億劫なもの。そうして半ば強迫観念のように、相手へ渡す恋文の推敲を重ねている。恋とは、初々しさ、胸にときめくもの、自由、権利。しかしこの歌からはどこか義務感が滲み出ています。想い人へ渡すものだから半端なモノではいけないという、完璧主義的な観点でしょうか。解らない。「妹」は「いも」と読ませるんでしょう。「妻」や「恋人」の意。解らないながらも、語句の選び方と修辞に惹かれました。